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Naturopath. V

正しさの行方 と 問い。

10歳くらいに世の中の矛盾に嫌気がさして、

 

「なぜ?」が湧き上がることがとても多くなりました。

 

なぜ そんなルールなのか

 

なぜ この治療法なのか

 

なぜ その矛盾が修正されないのか

 

なぜ

 

なぜ

 

「なぜ」だけを考えると、主観だけが前に出てきて、

 

このころは、怒りに似た憤りを感じて絶望してたね。

 

こうあるべきだ理論ですわね・・・

 

 

「なぜ」は、

 

その立ち位置に立ってみて、その立場での正義を纏わないと見えてこない。

 

その立場での理屈を知って初めて、

 

どうやったらアプローチできるのかを探れると思います。

 

 

歳を重ねてきたら、今度は「なぜ」が自分に向くようになりましたわ。。。。

 

なぜ (自分は)そう思うのか

 

なぜ (自分は)それをやるのか

 

なぜ (自分は)それを感じるのか

 

なぜ (自分は)それを選択するのか

 

なぜ

 

なぜ

 

 

物事には事実しかありません

 

あとはそれをどう感じる自分なのか。

 

そして

 

他者は同じように感じるとは限らないという、これまた事実。

 

 

もっと深く掘り下げると

 

自分のいる環境や状態によっても 感じ方は変わり 

 

他者も同様に、彼らの環境や体調で 感じ方は異なる。

 

 

つまり どんな時の 感じ方も その時には正しさがあり

 

動かない視点が在るとすれば それらは常にブレてるように

 

見えるでしょう。

 

変わらないのは、事実のみ。なのだ。

 

 

 

例えば、

 

 

 

温度が26度。というのは 事実

 

暑いなぁ と思う時

 

心地よいな と思う時

 

涼しいな と思う時

 

寒い と思う時

 

どれも 自分の感じること。 ここに嘘はない。

 

 

また

 

常に暑い国に住む人にとっての 26度は涼しくて

 

常に寒い国に住む人にとっての 26度は暖かい

 

この感じ方にも 別に嘘があるわけじゃない。

 

 

健康のこと 特に 症状のことに関しては

 

この事実と主観の違いについて、そこを考慮せずして

 

治療やアプローチ、アドバイスをすることは難しい。

 

 

体の事実とは、

 

 

細胞が生まれ、死んでいくというプロセスを踏み続けていること。

 

生まれてきたものは、死んでいくということ。

 

 

固まったものは、分裂していくということ。

 

 

陰陽という マイナスとプラスへの揺らぎを通して

 

循環し続けるということ。

 

 

 

そして、

 

全ては、その環境によって スピードも頻度も変わるだけ。

 

 

それぞれの環境において生じる 

 

その一瞬を切り取って、捉えて、全体の事実だと勘違いすることはとても危うい。

 

自然療法の中にも 切り取りの情報がたくさん氾濫している。

 

 

 

常に「なぜ」を 考え 知ることは

 

どこかの「偏りの真実」に嵌まり込むことからの解放を意味する。

 

26度は暑いのだ。という誰かの「真実」によって

 

26度って涼しいなぁ と 本当は感じている自分の「真実」を

 

隠して 否定して 選択していくことの意味に気がつくことです。

 

 

 

何かの「正しさ」や真実は・・・・本当に曖昧で頼りない。

 

 

その頼りなさを抱えた 正義で 

 

 

相手や社会をなぎたおすことは できないよ。

 

 

「事実」を探して

 

「自問」する

 

 

その事実をみて 知って

 

今ここに在る自分は何を思うのか?

 

 

 

自分の心のハッピネスが

 

他者の正義で押しつぶされないように。

 

 

自分の正義が

 

他者のハッピネスを奪わないように。

 

 

 

正しさ は 頼りなく不実。

 

 

その症状は、かならず 元に戻っていく。

 

陰陽の揺らぎののちに 元に戻るだけ。

 

事実を無視しなければ。ね

 

 

 

 

Love V

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