いつも足りない?
みなさん こんにちは 代替医療師Vanilla です
無いものに意識があるのか
あるものに意識があるのか
人はどちらかの視点で物事を捉え 考えます。
よく例えに出るのが、
グラスに半分入った水を見てどう表現するのか?ですわね。
上の空洞の空になった部分に視点がいって、
半分無いなと思うのか。
下の水の入った部分を見て、
半分あるなと思うのか。
無いところに目が行く人は、無いものを埋めようと焦ります。
減らないようにしたり(無くならないように)
埋めるための努力に躍起になるのですわ。
そして、「無くならないように頑張る私」が実現します。
いつまでも、空のところ(無いもの)にしか意識が向かないので
完成しない 治らない 足りない 自分。が
意識下にずっと君臨し続けるのですわ。
半分の水を見る人は・・・
その水にホッとし 感謝し 水があることに 安心します。
ここでの例えは水ですが、どんなことにも当てはめて考えられるのよ。
全ては・・・変化し 動いて、循環するのです。
例えば、
健康がその生命の維持のために 常に電子の受け渡しをすることで
同化と異化を実現しながら、
勝手に、ある状態(健康)を保つように、
物事は、小さいものから 大きくなり
ある時点で崩れ 壊れ 小さく散っていきます。
散ってバラバラになったものが また どこかで生まれ大きくなっていく。
グラスの水は 飲むことで または 蒸発することで
小さくなり 大気に戻り 自然の中で循環し、
また どこかのグラス一杯の水となって注がれることが来るかもしれないよ。
それが、全てにおける法則だからね。
手元のグラスからは なくなったとしてもね。
その半分の水を
あなただったら どう感じ
何に使うのかな。
誰にあげるのかな。
どうしようと思うかな。
ちなみに・・・
誰かを大切に思う気持ちは 足りなくなんてなることはないよ。
無尽蔵だからねっ
減らないんだから 安心
Love V