NLB-神を超える者たち――グノーシス主義という危険な思想〜その2
美しい毒――詩の言葉で包まれた残虐性
グウィン教授は、シェイクスピア作品について衝撃的な断言を下します
――「過去千年間に存在した悪への文学的影響として、唯一無二の最大のもの」[82]。
そして教授は、大胆にも主張します
――「理想的にはシェイクスピアの作品は厳しい検閲の対象とすべきです」[83]。
なぜでしょうか?
その内容を見てみましょう。
・自殺の氾濫:
37の戯曲全体で、少なくとも13件の自殺と、
さらに8件の可能性のある自殺が描かれています[84]。
伝統的なキリスト教では、自殺は最も重大な罪の一つです[85]。
なぜなら、その性質上、悔い改めが不可能な罪だからです。
さらに危険なのは、抑うつ状態にある人々が
自殺の考えを植え付けられることで、
容易に自殺へと追い込まれる可能性があることです[86]。
・窒息死への執着:
37の戯曲(その多くは喜劇)において、
実に74件もの窒息死が描かれています[87]。
最も有名な例は『オセロ(Othello)』における、
デズデモーナ(Desdemona)の殺害です
――オセロが妻を枕で窒息死させる場面があります[88]。
・『タイタス・アンドロニカス』の残虐性:
この戯曲では、女性がレイプされ、舌を切られ、
両手を切断されます[89]。
さらに、彼女の息子たちが殺されてパイに焼かれ、
その母親に食べさせられるという場面まであります[90]。
しかし最も危険なのは、これらの残虐行為が
美しい詩の言葉で包まれている点です[91]。
グウィン教授は警告します
――「言語の美しさこそが、人々を魅了し、
現実から目を背けさせるのです。
腐った魚が月明かりの下で美しく輝きながらも悪臭を放つように、
美が悪を促進するために
破壊的に利用される可能性があるのです」[92]。
まるで、毒薬を蜂蜜で包んで飲ませるようなものです。
道徳的空虚さ――信仰も愛も美もない世界
シェイクスピアの戯曲は、
読者や観客に深い不快感を残します[93]。
完全な不確実性を残すのです。
シェイクスピアには信仰がありません[94]。
神への確信も、救済への希望も描かれません。
あるのは、運命の気まぐれと、
人間の愚かさと、死の必然性だけです。
シェイクスピアには愛がありません[95]。
ロミオとジュリエットの愛は、
両家の愚かな確執によって破壊されます。
オセロとデズデモーナの愛は、
イアーゴーの陰謀で汚されます。
リア王の娘たちの「愛」は、権力への欲望か、
あるいは真実すぎて受け入れられない厳しさです。
シェイクスピアには世界の美に対する
恍惚とした賛美もほとんど見られません[96]。
自然の描写はあっても、
それは人間の感情を反映する装置に過ぎません。
読者は常に「対立概念」の間で揺れ動かされます[97]。
善と悪、真実と虚偽、現実と幻想
――すべてが相対化され、
何が真実なのか分からなくなります
(「道徳相対主義」という悪しきアリストテレスの系譜です)。
まるで、砂漠で方向感覚を失った旅人のように。
そしてこの精神的混乱の中に、「科学」が現れます[98]。
科学は確実性として提示されました。
心理学者としての巨匠ベーコンは、
私たち全員「科学主義」という
新たな宗教を受け入れるよう準備したのです[99]。
まるで、病気にさせてから薬を売る医者のようなものです。
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