reconstruction(再構築)
いつもご指導頂いている映画監督であり、自然哲学家である森田弁護士から以下のメッセージを頂きました。
ちょうど生命のエネルギー代謝を勉強していくと、以下と同じ営みを行っていることが分かり、感銘を受けましたのでシェアしたいと思います。
キーワードは「reconstruction(再構築)」。
生命体は環境の変化に応じてダイナミックに「reconstruction(再構築)」を行っています。昔の人間があくまでも生きていくために(プラクティカルに)、自然を「reconstruction(再構築)」して、フローさせていることがよく分かります(#^.^#)。
これが本当の学問ですね。
(引用開始)
【湯布院で分かった昔の日本人の環境デザイン能力について】
大分のapuという大学に行った際に、映画づくり(『降りていく生き方』)の原点である湯布院に行きました。
湯布院の亀の井別荘という旅館の中谷健太郎さんに、まちづくりについてのお話を伺いに行ったのが、私の映画づくりの始まりでした。
亀の井別荘のとなりの金鱗湖に行ったら、天祖神社というのがあり、見て見たら、その「環境デザイン的な凄さ」に感動しました。
神社の石垣から、水が湧き出ているのです。
このような神社を私は初めて見ました。
まさに巨大な浄水器。
普通の人は、「湧き水を御神体にして神社を作った」と思うでしょう。
しかし、そうではない。
昔の人が、由布岳の水を集めるために、杉の木を植えて水を集めて、湖に流しているのです。
つまり、この神社の湧き水は、単なる自然の湧き水ではなく、人為的にコントロールする「構造」の産物なのです。
かかる構造=杉の根を大きく育て、水を集める力を促進するために、石垣を作り保護する構造をつくり、人が水を取りに来ても根が痛まないようにして、その上で神社を作ったのです。
我々は、昔の人の環境デザイン力のすごさに圧倒されました。
こうした感動をおぼえるのは、我々のみであり、地元の人々は全くわかっていません。
なぜなら、「視点」がないからです。
「視点」がなければ、何も見えません。
この場所を見てはっきり分かったのは、日本人が太古から、極めて優れた環境デザインをしていて、それが神社などとして具体化している、ということです。
私が見て来た中で、この湯布院の神社ほど明確に示したものは、他にありません。
しかし、ほかにも日本にはこうしたものがあるので、今後、探そうと思います。
神社は本来、宗教ではなく、自然と人間とをつなぐ環境デザインの産物とみるべきだ、ということがハッキリ分かりました。
これは世界に類を見ないでしょう。
また、神木が「杉」であることは、大いに意味があります。
なぜならば、杉は、水を好み、水を集めるからです。
昔の人は、こうしたプラクティカルな見地から、木を選んでいました。
マジカルな見地ではないのです。
我々現代人に、リアリティが欠如し、神話のベースたるリアリティの理解ができなくなっているのですね。
金鱗湖は、風水では「龍穴」というそうです。
我々から見ると、金鱗湖は、「斜面転換点」すなわち「キワ」に掘られた「点孔」です。
ここに点孔が空くことで、流域たる山の受け止めた水が、下に引っ張られます。
空気と水の通りが促進され、植物の根の発育が促進され、構造として安定するのです。
天地を行き来する水は、まさに龍。
言い得て妙です。
風水ももともとは、リアリティがあったのでしょう。
(引用終了)
視点があると見える世界が違ってくる。これが学問の醍醐味ですね(#^.^#)。