『不世出の政治家:田中角栄〜俯瞰シリーズ』
心身の健康ヘルスケア・パーソナルコーチのリアル・サイエンスドクタ—崎谷です。
私がちょうど研修医として働き始めた年に、私が最も尊敬する人物がご逝去されました。
このときは、私も泣き崩れました。
その人物は、不世出(ふせいしゅつ)の英雄・政治家である田中角栄さんです。
あれから、すでに30年も経過しました。
田中角栄さんは、「コンピータ付きブルドーザー」という異名を持つほど、頭が切れてバイタリティがあふれるだけだけでなく、日本や故郷の貧しい新潟のために粉骨砕身した人物です。
彼は、カバルの手下である日本のマスコミ(田原総一郎など)にさんざん悪玉化されただけでなく、「ロッキード事件」という濡れ衣をきせられました(先日亡くなった英国カバールのエージェントであるキッシンジャーが絵を描いた。後年、キッシンジャー自身が田中角栄を失脚させたことを後悔している)。
さて、その田中角栄さんについて、先日宮台真司さんおよび朝賀昭さんのインタビュー記事が掲載されていましたので、一部編集して連続で転載いたします。
(転載開始)
🟢マックス・ウェーバーという、いまから100年以上前の社会学者が、政治とカネの問題についてこう言っているんですね。『金のために政治をするやつと、政治のために金を使うやつを区別しろ』と。金のために政治を使うやつはもちろん『ただのクズ』です。それに対し、政治のために、たとえば自分の金を惜しみなく使う存在は、むしろいい政治家なんだ、と
たとえば金を渡すとき『代わりにこれをしろ』というのは買収なんですよ。贈賄といいます。田中角栄はそのやり方はしていない。田中角栄は『どうかこの金を受け取ってくれ』と頭を下げて受け取ってもらうんですね。何をしろ、とは一切言わない。
(受け取る側は)それで恩を感じる、重荷を感じて大将のためになんとかがんばろう、と力が湧く。贈与は力が湧くんです。田中角栄はそういう政治家で、僕の父も大企業の経営陣にいて、田中角栄に会ったことがあって。記憶力がすごい、と。会う人の奥さんが入院して退院だったんだね、ということをメモも見ずに全部憶えている
この人についていこう、と思わせる力があった。さて、いまの政治とカネってなんなんだろう、ということですよね。田中角栄が象徴するような、マックス・ウェーバーの言う『いいお金の使い方』というのができているのかどうか。お金は人を買う、人を道具にする、俺の道具として動け、というためにも使えるけど、そうじゃなくて相手に『この人のためならなんでもするぞ!』とロイヤルティ、忠誠心、あるいは力を惹起するために贈与、ギフトとして使うこともできる
何に使え、とは言わない。それが田中角栄のすごさでしたね。あともうひとつ、これもマックス・ウェーバーの言っていること。政治家と役人は最終的にはハルマゲドン、最終戦争を行い得るような敵対する存在である、と。まず『役人は予算と人事の最適化を目指す動物』。これがマックス・ウェーバーの言い方。つまりポジションを上げよう自分の裁量権をより増やそう、と考えているわけだが、その行政官僚の行動の根拠は法的枠組なんですね
プラットフォームが決まっているからやっているんです。ところが政治家はその法的な枠組、プラットフォームを変える力を持つ。たとえば行財政改革と称してキャリア官僚の人事登用の制度を変える、というのもあり得る。日本の行政官僚、特にキャリア官僚って世界でも圧倒的に学歴が低いんですね。東大の学部卒で法学部を出ていようがなんだろうが、行政官僚になるなんて先進国ではありえないんですよ。ほかの国では修士どころかまず博士をとる、ドクターのディグリーをとって役人になる。日本は2年ごとに配置転換とかして、専門性が養われない。だから本当に……ダメな人たちが法律文書を書いている(『宮台真司が解説する、いまの「政治とカネ」問題、田中角栄が示したすごさ』文化放送、12/13(水))。
🟢よく言われる「脱官僚」、「政治主導」ですが、実は簡単にはいきません。前例や既得権を崩すには、相当なエネルギーが必要ですが、オヤジ(田中角栄)は労を厭わなかった。
官僚は基本的に賢く、相当な勉強もしています。当然、オヤジの範疇外の議論もある。ただ、オヤジは重要な政策立案では、まず自分の考え、イメージを披露し、官僚の意見を拾う、そこからディスカッションするスタイルでした。そうした話し合いの繰り返しで、政策を詰めていった。
〈角栄は総理を目前にした通産大臣時代も、官僚と議論を戦わせるために、朝2時に起きて資料を読み込み、秘書官が私邸に迎えに行く頃には新聞全紙を読み終えて陳情をこなしていたという〉
オヤジの「聞く力」は最強でしたね。的外れな質問をしても叱られることはなく、「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥だ」と言って下さった。だから官僚たちも自分の意見をはっきり進言できる。専門分野の知識は当然、官僚のほうが上でしょうが、官僚が口憚って言えない知識をどんどん引き出している感じでした。
官僚だけでなく、実務を担当する役人への気遣いもありました。役所の次官、課長同席で話を詰める場合、基本的には序列順に話を聞きますが、オヤジは「現場を知る課長のほうが話が早い」と課長を優先することもあった。従来の慣習より合理的な実務をする政治家でしたね。
〈政治家は、官僚をどう使いこなすかで政策実行能力が決まる。角栄は各省の官僚の顔と名前、入省年次、家族構成まで暗唱できた〉
できないならオレがやる
官僚は前例主義にこだわり、オヤジが政策を提案しても、前例や法令をタテに反論することが多々あった。だが、オヤジはそれを許さなかった。
「前例でできないのなら新しい法をつくれ」「立ちはだかる法令があるなら改正したほうが国民のためだ!」と命じるわけです。33本の議員立法に携わり、法律づくりに精通していたオヤジにそう言われたら、官僚は動かざるを得ない。
そうして大蔵省(現・財務省)の既得権を打ち破ったのが道路特定財源でした。それまで大蔵省が一手に集め、使途を決めていた税の使い途を独占されないよう「ガソリン税」という大蔵省所管外の財源をつくり、使い途を独占されない方法を編み出したのです。
〈朝賀氏は「岸田政権は政策以前に、“何をしたいか”が国民に伝わっていない」と苦言を呈す〉
オヤジは官僚を使いこなした。そして国民には「できないことはある。だが、できることはやる!」と訴えかけました。
自分の思いを率直に投げた。だからこそ、国民も官僚も納得したのでしょう(週刊ポスト2023年12月22日号)。
(転載終了)
田中角栄という不世出の政治家の一端がこの記事からもお分かりになると思います。
現在のカバールによる日本支配の管理人である官僚たちは、アジアの官僚と比べても、学歴もなければ、考える力・実行力もありません(アジアでは中国、シンガポール、香港の大学の方が東大よりはるかに上。シンガポールの官僚も全員オックスフォード大学を卒業し、博士号を取得しています)。
日本の政治家は、その官僚のコントロール下にありますが、田中角栄さんだけは違いました(言うことを聞かない政治家のところには、国税か東京地検特捜部がお邪魔する😃)。
彼らをむしろ目的(日本の独立)のために有効に使うことができたのです。
それは、記事にあるように、角栄さんのずば抜けた記憶力や気遣い(盆暮、葬式はもちろんのこと、官僚の奥さんの誕生日プレゼントまで用意した。金の欲しい輩には、札束を用意した)がありました。
田中角栄さんがもう少し長く勢力を保っていれば、日本は米国からの独立を目指せたのかも知れません(日米合同会議、日米地位協定の廃止)。現在の日本の情けないていたらくを思うと、残念でなりません。
その田中角栄さんの本質は、小室直樹先生の『田中角栄の遺言―官僚栄えて国滅ぶ』『田中角栄の呪い―”角栄”を殺すと、日本が死ぬ (カッパ・ビジネス)』『田中角栄 政治家の条件』に詳述されています。
人類の歴史は、昔から、邪悪で無能なカバールと田中角栄のような有能な人たち(国を守るまともな人たち)との闘いだったのです(^_−)−☆。