NLB-フィロソフィーと形而上学
拙著『エーテル医学への招待』
および2023年のTUEETの「エーテル医学」の講義では、
人類の歴史を二分する潮流をお伝えしました。
それは、原子などの粒子の最小単位を想定して、
その粒子の組み合わせで世界が成立しているという
原子論「アトミズム(atomism)」と
エーテルの存在を一元とした連続説「continuous theory」
あるいは一元論「モニズム(monism)」です。
宗教、つまり神の創造説「クリエイショニズム(creationism)」は、
さらに原子論「アトミズム(atomism)」の下位にあるもので、
論ずるに値しません。
自然・宇宙(Mother Nature)は、「神(God)」というような
極めて人工的な創造物(権力者の頭の中の創作)を許さないからです。
さて、その一方で人類の歴史の後半では、
フィロソフィーという分野が登場してきます。
このフィロソフィーは、「哲学」と訳されているものです。
フィロソフィーも大きくは、
存在の認識を問う「認識論」と本質を問う「存在論」に分類されます。
古典的な分類では、哲学は、
認識論、存在論、倫理学の三つに分けられます。
しかし、倫理学も神の創造説と同じく、
人間が勝手に作った信念やモラルに関するものですので、
論ずるに値しません。
したがって、今回は認識論、存在論と
真の学問である「形而上学(けいじじょうがく)」との関係を見ていきましょう。
「形而上学(metaphysics)」は、
古代ギリシア、エジプト、インドで完成した真の学問で、
権力者が支配した人類の歴史で隠蔽・変質されてきたものです。
もちろん、大衆支配のために非常に都合が悪いからです
(近年の権力者は、さらに知能が衰退し、形而上学を理解さえしていない)。
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